2018年7月西日本豪雨被災地/岡山県倉敷市真備町の実家が浸水した

西日本豪雨

2018年6月の終わりから7月初旬にかけて降り続いた雨は、岡山県倉敷市真備町に甚大な被害を及ぼしました。

僕の実家は岡山県倉敷市真備町にあり、住宅2階の腰のあたりまで浸水。両親はベランダの柱にしがみついて救助を待った。

実家近くに新築の家を建てたばかりのお兄ちゃん家族(娘2人、犬2匹)も全く同じ被害状況。

災害当日、僕は実家にいるはずでした。

それが、何の因果か僕自身の全ての荷物(パソコン、布団、服、日用品、自転車などすべて)を車に積んで、3日間の泊まり込みのおっさんレンタル依頼の仕事をしていました。

そして3日間の仕事を終え、実家に向かって帰ろうとしたところ、あまりの渋滞と大雨の影響で実家への帰宅を断念。そして、3日間の泊まりの仕事をもう1日延長してもらえないか依頼者さんに相談し、あと1日だけ泊まり込みのお手伝いをすることができたのです。

それからしばらくして、実家の母親から連絡が来ました。

母親
大雨が明後日まで続くから水位かなりあるのでくれぐれも気をつけて

雨も強くなり、徐々に警報アラームの鳴る回数が増えてきました。

実家のことも、自分が滞在している場所も、特に詳しく調べることもなく「安全だろう」と勝手に判断している自分がいました。

何度も鳴る緊急アラートを気にしながら、寝床についたのが日付が変わろうとしている深夜12:00頃。

そして謎の震動が起こり、それが総社市での工場爆発の出来事だとツイッターで知る。

爆発現場から実家が少し近いこともあり、心配して親に連絡。

銀座ノボウズ
総社市の工場が爆発したけどそっち大丈夫?
母親
大丈夫。家が揺れたから何かあったのかと思った。それよりも大変なことが・・・。水が浸かってきた

僕はこの時まで、実家が水没の危機にあることなど全く知らなかった

すぐにネットで調べたら、実家の倉敷市真備町を流れる小田川が氾濫したことを知る。

銀座ノボウズ
避難中に水に流されるから外出は気をつけて
水を確保しておいて
大事なものは2階にあげて
母親
田んぼで助けを求めてる
水が玄関まで来た
階段まで水がきた
2階まで水がきた
 

両親
ヘリコプターが様子を見に来てる

それから連絡がなくなりました。

銀座ノボウズ
充電切れかもしれない。
救助中かもしれない。
濁流に飲み込まれたのかもしれない・・・

頭の中を巡る不安をかき消すために、おっさんレンタルの依頼者でもあるゲストハウスのオーナーの子供を抱かせてもらい、パワーをチャージさせてもらいました。

そして、僕はゲストハウスのお手伝いに戻りました。

両親、兄弟家族の安否が不明な状況はさらに続きました。

ゲストハウスのお手伝いを終え、岡山イオンで別件のおっさんレンタル。
はあちゅうサロンの岡山イベントで名刺を配った際に声をかけてくれた方からの依頼でした。自分を必要としてくれる人がいるから、不安な時間をどうにか乗り超えることができました。(実は、お世話になったレイジーハウスのオーナーもはあちゅうサロンの岡山イベントで声をかけてもらいました。)

岡山イオンでのおっさんレンタルが終わったタイミングで母親から連絡がありました。

母親
自衛隊に救助され、今、安全な場所にいます。お兄ちゃん家族はまだ避難できていないけど、自衛隊が近くにいるようです

両親とお兄ちゃん家族の安全が最終的に確認できたのは深夜でした。

今回の河川の氾濫による被害について、僕はツイッターで実況中継をしていました。(今は古い情報と新しい情報の混乱を避けるため、すべて削除しました)

同じ地域の方に、同じ地域に身内、友人の方がいる方に少しでも現場の状況が伝えたらと思って行動しました。

災害から1週間までの僕の行動をザックリとまとめてみました

1・岡山の若者からツイッターにダイレクトメッセージが届き、polcaで支援を募った

はあちゅうサロンのイベント後、ツイッターで繋がっていた

とみー プロ起業家ブロガー

からダイレクトメッセージが届き

「フレンドファンディング【polca】を使って支援を募ってほしい、僕が拡散するから!」

と連絡がありました。

僕は早急に、支援プロジェクトを立ち上げました。

そして、彼がそのプロジェクトを拡散してくれました。

https://twitter.com/tomitotheworld7/status/1015407173021548544

若い子に背中を押され

「おっさん。こういう時こそ頑張れよ!」

と励まされました。

2・被災地の状況をツイッターで発信した

被災地への車の渋滞が懸念されていたので、自転車に乗って現地へ向かいました。

そして、現地の被害状況、帰宅できる範囲がどこまでなのかを調べに行きました。

3・渋滞問題の深刻化を問題提起した

倉敷市真備町の主要道路が完全閉鎖されていたため、道幅の狭い「なか道」を通らなければなりませんでした。

その道は通常でも対向車のすれ違いが困難な道なので、かなり混乱が起こることが想像できました。

そして、渋滞問題が深刻になりそうなポイントに到着すると、消防隊員の方がすでに交通整理をしていました。消防隊員の方に声をかけ、明日、ボランティアの人が交通整理をしてもいいのかどうかを聞いたところ「なんとも言えない」という返答が返ってきました。

4・facebook liveで渋滞問題を配信

渋滞問題を誰かに喋りながら思考整理したいと考え、急遽ブロガーのやぶなおくんと連絡を取り、facebookライブで配信を始め「交通渋滞問題をボランティアの手によって解決できないか?」について会議をしました。

  1. 熱をもって話す銀座ノボウズ
  2. クールに俯瞰的に、遠慮なく自分の意見を述べるやぶなおくん
  3. 銀座ノボウズとやぶなおくんと投稿コメントをバランスよくまとめ、問題点を指摘するデリ男
  4. 笑顔で頷いて、4人の絵面を整えてくれるゆりちぇる
  5. 視聴、コメントをくださった方々
  6. 場所と食事を提供してくれた韓国食堂YUPAさん

この会議のおかげで冷静に状況を把握することができました。

この配信では、ただひたすらにしゃべり散らかしていたので、内容をあまり覚えていません。

ただ、会議終了後にスケッチブックをどうしても使いたいという思いが強く残っていました。

5・スケッチブックの張り紙で訴えかける

みんなと解散した後、たくさんの道路の通行止めを見つけては、次々と張り紙を貼っていきました。

そして、スケッチブック数冊とマジック数本を大きな交差点脇において、どうにか活用してもらおうとメッセージを残しておきました。

6・渋滞が懸念される「なか道」を動画で解説

張り紙を貼る作業を終え、渋滞が懸念される「なか道」の状況を解説する。

7・白髪の老人にコンビニで怒鳴られ、お墓に避難する

車をコンビニに止め、車内に積んである自転車に乗り換えて浸水した実家に向かおうとした時、

「ズルすんな!」

と怒号がしました。

白髪の老人がこっちを睨みつけていました。

コンビニの無断駐車を注意されたのです。

僕は白髪の老人の怒号よりも大きな声で謝り、自転車を車内に積み直し、一旦冷静になるために総社市内にある自分の家のご先祖が祀られているお墓まで行き、家族みんなの無事を報告。

墓地に車を置き、自転車に乗り換え総社〜倉敷市真備町に向かいそして実家に到着したのでした。現状の確認と、簡単な片付け作業を終え、再度お墓まで戻り水道で体を洗い、洗濯を済ませる。そしてファミレスで仮眠しながら夜明けを待った。

8・あらゆる箇所で起こる対向車問題を積極的に整理した

対向車すれ違い困難問題は、おせっかいが過ぎるほど果敢に整理していきました。かなりピリピリとした空気に自ら飛び込んでいくことで、随分と度胸がつき、自分が成長していることを実感できました。

9・ツイッターでボランティアスタッフを募集した

事前にツイッターで募集していたボランティアの方から2件連絡がありました。

1組は岡山の方からきてくれた20代の青年ボランティアが2名。

実家の使えなくなった家電、畳、家具全般を室内から出す力仕事をお願いしました。

そして、もう1組は倉敷市真備町でも被害が少なかった地区からきてくれた女性ボランティア1名。

彼女は現場に必要な生きた情報をたくさん持っていて、ゴミの運搬や交通情報など彼女のおかげで段取りよくがれきの運搬作業をすることができました。

2組のボランティアの方とお話したら、行政が動くまでのボランティア活動の難しさを話されていて、その問題点が非常に切実だということに気づかされました。

10・ゴミ処理場の渋滞待ちをしている助手席の人に声をかけ、高齢者の軽トラから瓦礫を下ろす作業の協力をお願いする

50台〜100台は瓦礫を積んだ車がゴミ処理場に向かって連なっていたと思います。

兄が車を運転していたので、僕は助手席から降りて、前の車から1台1台、助手席をノックして

「体力が残っている方は、ゴミ処理場まで歩いて向かい、瓦礫を下ろしている高齢者のお手伝いをしませんか?」

と声をかけていきました。

助手席を降りて、炎天下の中、数百メートル先のゴミ処理場を目指して歩いてくれる方がたくさんいたことに胸が熱くなりました。

声がけが無駄にならず、よかったと安堵していたら、この後、思わぬトラブルを招いてしまいました。

11・一般人が許可も取らず勝手にリーダーシップをとるなと、ゴミ処理場の渋滞待ちの人にキレられる

ゴミ処理場にはボランティアの人はいませんでした。ゴミ処理場の社員の方は交通整理と処分場所の指示を出すことで手いっぱいの状況でした。だから

自分たちで持ってきた瓦礫は自分たちで捨てる

という状況でした。

高齢者夫婦もいれば、1人で瓦礫をトラックに積んできている人もたくさんいました。

瓦礫をトラックから下ろす作業に時間がかかっていたのが、渋滞の原因でした。

渋滞待ちをしている助手席の人に声をかけて、瓦礫下ろしの作業を協力してもらう作戦は見事に成功しました。

僕1人だけでもトラック5台分のお手伝いができました。

しかし、そこでトラブルが起こったのです。

助手席を降りて瓦礫を下ろす作業を手伝いに来てくれた人が、ゴミ処理場の社員の方に、この一連の僕の行動を報告したのです。

良かれと思って報告したと思うのですが、ゴミ処理場の社員の方からすれば、

勝手にリーダーシップをとっている一般人がいて、場を混乱させている

という状況になってしまったのです。

そして、渋滞待ちをしていた助手席の人に勝手に指示をするなとキレられるという結果になってしまったのです。

まとめ・・・僕は今回の災害を誰よりもポジティブにとらえている

浸水した実家のクローゼットの中にしまってあった若かりし頃の両親の結婚式の時の写真や旅行先の写真、お兄ちゃん夫婦の結婚式や僕たち3兄弟の幼少期の頃のアルバム写真などがたくさんありました。

クローゼットの中はすべて浸水の影響で泥だらけになり、衣類や書類などもすべて処分しました。

ただ、アルバム写真が保管されてた一角だけは僕は手をつけれずに放置していました。

処分するかどうかを両親にゆだねました。

泥水を綺麗に洗い落とせば、写真は大丈夫と言ってくれる親戚もいる中、僕の母親は笑いながら、すべてのアルバムを一切めくることなく豪快に捨てていきました。

そんな母親の姿をみれたことは、息子にとってものすごく価値がありました。

我が家にイノベーションが起こるのか・・・?

と、ワクワクすらしました。

ここから先は

リノベーションの道をたどるのか。
(元の生活を求めるのか)

それとも

イノベーションの道をたどるのか。
(新しい生活を求めるのか)

だと考えています。

60代を過ぎ、晩年を迎えた両親が残りの人生を

どのように考え、

どのように選択し、

どのように決断していくのか、

非常に興味が湧きました。

今回の災害がなければ、僕は自分の両親の今後の人生に興味を抱くことはなかっただろうとおもいました。

それと同時に、この両親の子供に生まれてよかったと心の底から思えました。

僕はやっぱり

「困難を乗り越えようとしている人」

に興味があり、そんな人が大好きです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です